小さないのちを守る会の歴史と証し(その5) 辻岡敏子

2012/04/28総会に於いて~

1987年、この年から荒井志朗さんが私たちと行動を共にして、日本中への旅に同行しました。日本写真協会の会員である荒井さんは8年かけて1万枚の写真を撮り、小さないのちを守る会の写真集「小さないのち」を出版して会の働きを日本全国に紹介してくださいました。

写真集 荒井志朗『小さないのち』

荒井さんの証しです。「韓国に同行した辻岡師が『胎児のいのちを助けることは小さなイエス様を助けること』と、熱をこめて語ったその活動に共鳴し、87年からこの会の活動を写真に撮り、多くの人々にいのちの尊さを目で見ていただきたいと思いました。赤ちゃんの誕生に立ち合ってみて、母の胎内という目で見えないところで成長していく、いのちに対して、やはり人知を超えた力を感じ、感動した。羊水の中で呼吸していた胎児が生まれた瞬間、間髪を入れず肺呼吸するのを見て、これ程精妙な業は神様以外には出来ないと確信!!

それまで数年間、教会で説教を聞き聖書を読み、神の存在を頭では受け入れることが出来ても、どこかうわの空、小さないのちを守る会で出合ったいのちの神秘は、まさに目から鱗。人工妊娠中絶は、たと えどんな事情があるにせよ、戦争と同じ行為だと気づかされた。」と。

荒井さんは30年にわたっていのちの神秘と感動を撮り続けてくださり、1994年に受洗されました。私たちにとって大きな喜びです。

私たちは、北海道、沖縄、金沢、姫路、愛知、山形、福島など、いろいろな所に共に行き、元特攻隊の荒井さんは、共に小さないのちを守る戦いの文字通り戦友になりました。

菊田昇医師と出会ったのもこの頃です。菊田医師は中絶を希望する女性の多くが、出産の事実が戸籍に記載されるため中絶を希望していることを知り、中絶を防ぐために出産の事実を記載しない「菊田医師事件」を起こし、中絶を防ごうとして戦った世界的に有名な医師です。医師会から除名、医師免許剥奪の中でも戦い続けました。

辻岡が石巻の「菊田産婦人科医院」を訪問し、小さないのちを守る会の活動の主旨を詳しく話しました。初対面であったにも関わらず、菊田医師は小さないのちを守る会の働きに感動し意気投合して入会されました。それ以後行動を共にし、北海道の講演会では三浦綾子夫妻も出席され、沖縄では新聞に大きく講演内容が取材されました。

菊田医師も、かつては、「自分が中絶しなければ他の医師の所に行って中絶する、だから中絶する」と、 産婦人科医の論理で中絶をしていたこともありました。しかし、菊田医師は小さないのちを守る会の交わりの中で、いのちの尊さを改めて強く感じられ、罪を悔い改めて「私は、小さなイエス様を何千と殺してきた。しかし、そのイエス様に自分の罪を悔い改めた時、イエス様は私を赦してくださった」と辻岡に告白し、「洗礼を受けたい」と言われましたが、辻岡は、地 域で信仰生活を守るのが最善とお勧めして仙台で受洗されました。菊田医師はクリスチャンになってから、「法か、いのちか」と最高裁まで争った闘争心が嘘のように消え、すべての罪が赦されて天国行きの切符を手にした喜びと希望で、講演の旅も伝道の旅に変わっていきました。

クリスチャンになった菊田医師は、共に戦ってくれた奥さんを是非聖地旅行に連れていきたいとご夫妻でイスラエル旅行を希望され、辻岡を団長として1988年12月5日から18日まで、菊田医師夫妻と希望者を含めて、計8人の少人数でのイスラエル旅行でしたが、「小さないのちを守る会」として感激の聖地旅行でした。