小さないのちを守る会の歴史と証し(その3) 辻岡敏子
2012年4月28 総会に於いて
「小さないのちを守る会」の第2回セミナーが1984年11月19日、お茶の水クリスチャンセンター(OCC)で開催されました。講師はキリスト教倫理の視点から多井一雄先生、聖書と信仰の観点から上沼昌雄先生が講師として、またカウンセラーとしての実践的立場から坂野保吉氏が、そしてクリスチャンの養親・里親の豊富な体験を持ち社会的にも高く評価されている三崎豊子さんが証人としてご奉仕くださいました。
神様の形に造られた小さないのちを守り、神様の栄 光がこの地に輝くことを祈りながら「小さないのちを守る会」の活動が始まりました。「小さないのちを守る会」は社会的な奉仕をしていると思われがちですが、神と教会に仕えることがモットーです。聖書の愛を具体的に社会の中で実践し、神の愛が社会の中で目に見える形で証しされて行くことを願っています。
1985年にプロのグラフィックデザイナーであり、ニッカウィスキーの王様のマーク制作者の大高重治氏が、快く制作費は出世払いの約束で、ロゴとマークの制作を引き受けてくださいました。辻岡が「温かい感じで」とだけ注文したものですが、大高氏は祈りの中で示されたロゴを作成してくださり、ご自分の作品の中で一番気に入っていると満足されていました。続いてマークも祈りながら作成してくださいました。
そしてこの年、アメリカで制作された「サイレント・スクリーム」という映画を日本語版に訳しました。これはアメリカで中絶病院を経営し、ご自分でも何万件もの中絶手術を行っていた産婦人科医師が、中絶される11週の胎児を超音波診断装置で動画映像化したものです。初めて公開された時、各国のジャーナリストが余りのショッキングな現実に驚き、各自国にその映像の一部を電送しました。辻岡は「声なき叫び」と訳したいと思ったようですが、ジャーナリストの方々を尊重し「沈黙の叫び」として報道しました。この「沈黙の叫び」は、声にならない胎児の無言の悲痛な叫びです。
この翻訳に際して、会員になってくださった青梅市立総合病院産婦人科の医師で世間から絶大な信頼と人望のありました松永雅雄先生が専門的な医師としての立場で、深夜遅くまで助けてくださいました。辻岡は終電車もなくなりタクシーで帰って来たこともあります。その後、松永先生は牧師になられました。また、制作者のネイサンソン医師も10年後にクリスチャンになり、世界のジャーナリストもそのことをそれぞれの自国に発信しました。
「沈黙の叫び」が日本のジャーナリストの目に留まり、週刊誌「女性自身」の男性記者が取材のために、小さないのちを守る会の事務所に取材に訪れました。そして1985年10月15日号の表紙に“中絶ビデオの衝撃映像!!”と書かれ、記事見出しには「ああ、おなかの赤ちゃんが壊される」と「沈黙の叫び」の内容が克明に何ページにもわたって書かれ、中絶された胎児の写真が何枚も掲載され、また同時にJRの電車の吊り広告も普段の2倍以上の大きさで「ああ、おなかの赤ちゃんが壊される!!」と大々的に広告されました。記事の最後に、このビデオを見たい方はと、事務所と我が家の連絡先が書かれ、発売の日から我が家に全国から昼夜の別なくドンドン電話がかかって来ました。ビデオを見たいという人、買いたいと言う人、中絶してしまった人、させた人、お坊さん2人からもビデオ注文。3週間でトータル300件前後の電話の問い合わせが殺到し、その応答に私は食事する暇もないほどでした。
辻岡は講演のたびに、この「沈黙の叫び」の映画を持ち歩き上映しました。10年、20年、30年経った今でも「沈黙の叫びを見た時の驚きが、忘れずにはっきりと覚えています。いのちの尊さを知りました。」と挨拶してくださることはとても感謝です。